嫌いな人

1週間ほど「嫌いな人」について考え続けている。事の発端は「あいつだけは許せん」という会話を耳にしたことだ。なんともよく聞く(ような)台詞ではあるけれど、自分がそれを口にする時があるのかと考えると、やっぱりないなあと思った。そもそも「許せない人」というのがなかなか思い浮かばない。「許せない」ってよっぽどのことだよなと思う。


それで「嫌いな人」についても考えてみたのだが、これもいない。「苦手な人」はけっこういるなあ。それとも「嫌いな人」っていうのはこの歳になるとあんまりいなくなるのだろうか。むかしはたくさんいた気がする。いや、そうでもないかも。中学の同級生で、担任(女性)が嫌いな女子がいて、その女子とは同窓会とかで話すと、今でもその担任が大嫌いなのだそうだ。何が彼女をそうさせるのかはよく知らないけど、僕はそこまで人を嫌いになった経験はないので、「むかしはたくさんいた」というのも違うのだろうと思います。


自分に不利益をもたらす人のことを嫌いになるのだろうか。とか考えると、自分に不利益をもたらす人って、なかなかいないよなって思う。私生活では僕は独身だし、今のところ基本的に行動を制限するような人はいない。振り込まれた給料をなんの理由もなく持って行っちゃう人がいれば、それが不利益をもたらす人なんだろうけど。それ以外に何かあるかと思えばストーカーくらいなんだろう。仕事でもたらされる様々な苦痛は、人格とは別の問題になるので「嫌いな人」にはなりえない。そもそも僕は「好きな人」以外にはかなり無関心になる性質なので、無関心な人というのが「嫌いな人」にもなるのだろうか。いや、やっぱり違う気がする。「嫌いな人」がいる人は、確実にその人のために毎日の思考の数%を使っていると思うのだ。「嫌いだな〜」って考える瞬間があると思う。僕にはない。


あとこれはテレビ番組やCMとか芸能人についても同じことがよくあって、誰かとテレビを見ていると「この人嫌いだな〜」とか「このCM嫌だな〜」とわりと多くの人が主張するのです。で、そういうときにだいたい同意を求められるんですけど、僕はだいたい「そんなこと考えたことない」的な答えをして「あっそう」という雰囲気になるのであんまり好きじゃない。


かつては、そんな「嫌いな人」がいる人の会話を「そんなに嫌いなら考えないほうがいいのにな〜」と鼻をほじりながら聞いてたのですが、最近はやっぱり自分に何か足りないのかもと思って考えているわけです。


好きな人はいっぱいいます。