身体感覚的には

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http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070913
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20070916


必要とか不要とかそういう話ではなくて。


やっぱりマシン語できるプログラマはスマートだと思う。
どういう意味かというと、nativeとしてCPUと会話できるということだ。


「翻訳なしでCPUと会話ができる」


BASICとかCとかはCPUと直接会話している感覚が薄い。
コンパイラインタプリタと会話している感覚のほうが大きい。
それはアセンブラでも同じことだけど。
結局、「感覚」かー。
自分で言っておいてなんだけど。


でも、この感覚があるかないかで、プログラムする快感が全然違うんじゃないかな。
この快感を味わっているプログラマこそがかっこいいんだと。
フラットライン(ニューロマンサーの)はRubyとか使わないでしょ、と。
フィジカルな言語感覚を持ってCPUと会話できないと、サイバースペースには
ジャックインできないはずだ、というね。妄想か。


ワイルドスピード」という楽しい車映画がありますが、
ターボをONにする、とかいう表現を、手元のオペレーションからはじまって
エンジン駆動系に至るまでを車内メカの経路をワンカットのCGでみせる
というシーンがあります。
この感覚!ドライバーはこの瞬間にこれをすべて感じているのだ!という
強引な説得力にあふれたシーンが大好きです。
これぞ機械と直接会話する感覚。


話は変わりますが、プログラマにとってエディタというのは最重要ツール。
それだけにこだわりがあります。ありすぎて困るくらい。
職人の道具、みたいなね。
自分も前まではそう思ってたんだけど、最近は逆というかね。
ツールなんかなんでもいい、くらいのほうがスマートだなと思うのです。
メモ帳でプログラムできるプログラマこそが最強的な。


ダイハード的な状況に巻き込まれたとする。
そこでは時間内にプログラムを組まなきゃいけない。
傍らに放置されたノートPCを起動。
1)いつものエディタがない!探してインストール。→死亡
2)メモ帳でバリバリ組む。→生還
という妄想。
ツールがないとサバイバルできないというのは、あんまり憧れない。


マシン語もそんなシチュエーションを妄想するとね、
やっぱマシン語できるというのはスマートだ。憧れる。


結論としていいたいことは、
必要か不要かとかではなくて、
かっこいいかダサいかで語ったほうが楽しいんじゃないかなーと
いうことです。